中川伊作さんの南蛮水指です。
薪窯焼成による窯変が出ています。
本体には魚が3匹、蓋の取手には貝のデザインです。
底面には「中川」のサインが入ってます。
桐箱付き。
高さ 約15.5cm
直径 約23cm
中川伊作(なかがわ いさく)
1899年
京都に生まれる
1921年
京都市立絵画専門学校卒業
1928年
日本創作版画協会最初の会員となる
1930年~32年
文部省主催日本版画巡回展(ルーブル、マドリッド、ジュネーブ
ロンドン、ニューヨーク等美術館展示)
1938年
南蛮焼コレクション百点を京都国立博物館に展示、柳宋悦ら民芸協会員の沖縄行きの契機となる
1972年
沖縄にて南蛮焼の作陶を始める
1977年~90年
沖縄市知花に登り窯を築く、以後、東京、名古屋、大阪、山口、北九州
沖縄、各地にて南蛮陶器と木版画の個展
2000年
1月2日逝去 享年100歳
<京都文化博物館より抜粋>
明治32年に京都に生まれた中川伊作は、京都市立美術工芸学校を経て京都市立絵画専門学校で日本画を学びました。卒業後も国画創作協会展などに日本画を出品していますが、昭和3年、京都寺町の山本画箋堂で開催された木版画講習会への参加を機に、版画に傾倒していきます。翌年には、京都絵画専門学校で同じく日本画を学んだ麻田辨二、浅野竹二、徳力富吉郎らとともに京都創作版画協会を結成、その後は日本創作版画協会展や国画会展、関西創作版画展、京都工芸美術展などに参加、出品していきました。昭和11年の「日本の古版画と現代版画」展への出品作は、スイス、スペイン、アメリカなどの各地を巡回しています。
そんな中川が初めて沖縄を訪れたのは昭和4年のこと。以後の版画作品に《琉球の女》《守禮門》など沖縄を主題としたものも多くなり、中川がいかに沖縄に魅せられていたかがうかがい知れますが、その熱い視線は鉢や甕などの沖縄のやきものにも注がれました。現地で蒐集したものやプロデュースしたと思われるものを持ち帰り、昭和13年、御賜京都博物館(現京都国立博物館)で紹介しています。さらに昭和47年、73歳で沖縄に渡って作陶をはじめ、5年後には本格的な登り窯を築き、版画と陶芸の個展を各地で開催するなど精力的に活動しました。
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ホビー・楽器・アート##美術品・アンティーク・コレクション##工芸品
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