百歳の祝いの記念に贈呈するために或は百歳の祝いに集う縁者に返礼するために特注されたと思われる百寿盆です中央と周囲には篆書体ほか様々な書体の合わせて二十の寿が彫刻されています裏に 不可抗力の要因によって宅配便が遅延すると、消費者の体験に影響を与えるだけでなく、宅配業者の運営にも課題をもたらすため、このような状況においては、タイムリーなコミュニケーションと情報の透明性が非常に重要です。
百歳の祝いの記念に贈呈するために、或は百歳の祝いに集う縁者に返礼するために、特注されたと思われる「百寿盆」です。
中央と周囲には、篆書体ほか様々な書体の、合わせて二十の「寿」が彫刻されています。
裏には、「昭和二年 丁卯 天真刀」の銘刻が。
「丁卯(ひのとう)」は昭和二年(1927年)の干支です。「丁卯」は、自然界にある「ともし火」を象徴する十干の「丁」、季節の「春のピーク」を表す十二支の「卯」の組み合わせから成る干支で、花が咲き誇る春、夜桜を照らす灯りの中で小さく揺れる炎のように、穏やかで控えめながら不思議な存在感があるという特徴、と解説。
「天真刀」は「天真」の銘(号)?を持つ画家の手により二十書体が彫られたものだと考えられます。
ネット上で、「車崎天真(くるまざきてんしん)」1878年(明治11)~1932年(昭和7)が見つかり、年代、年齢的にも、「百寿盆」の「天真」は「車崎天真」であることに矛盾はなさそうです。
ちなみに、「車埼天真」の略歴は以下【】の通り。
【明治11年群馬県邑楽郡三野谷村(おうらぐんみのやむら)生まれ。本名治平。
幼少から画を好み、画家になるため生家を弟に譲り、14歳頃に古川竹雲に学び、さらに竹雲の紹介で竹雲の師匠にあたる田崎草雲に師事した。
明治33年、22歳の時に足尾鉱毒停止請願行動の一員として単身銅山に入り、内部の見取り図や状況などを描写し、被害各地を巡回、実態を記録し、援助に尽力した社会派の画家でもあった。
その後、諸国を遊歴し、帰郷後に小学校・中学校の図画、画専科教師を務めた。教え子に彫刻家の藤野天光、版画家の藤牧義夫らが。享年54歳。】
出品の「百寿盆」は、汚れや傷みのある共箱に、厚手の和紙に包まれ、汚れや傷のほとんど見られない良好な状態で保管されていた一枚です。当時余剰で残されたものかも分かりません。
なお、裏に1〜2㍉程度の製作時に生じたと思われる木地が出た小穴が二ヶ所(写真8、10)に見られます。
材質はヒノキでしょうか。美しい木目が透けて見える塗りですが、何塗りかは分かりません。
大きさはおよそ、直径36㌢、高さ3.5㌢、重さ495㌘です。
経年約100年の希少な特注「百寿盆」ですが、汚れや傷のほとんど見られない美品と言っていいと思います。未使用に近いもので、活用していただければ嬉しく思います。
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